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Yの記憶 -ある身体障害者の話- その⑥
現在
あれから何年経った?正直この生活にもちょっと飽きてきた。
別に働くことが嫌で引きこもってたんじゃない。すべては”蠢後�@縺�℃蜴サ”のせい。新卒カードを捨ててまで選んだ道だ。
でもいつまでも続けられるわけではない。大学の奨学金も親が払っている。何のために大学を卒業した?
大学を卒業する前から就職しないといけないということは片時も忘れたことはない。
毎日そう思っていたある日の通院。主治医の先生が、
難病就労相談
を受けるのはどうかと提案してくれました。そこで紹介されたのが、
障害福祉サービス「自立訓練・就労移行」
初めて聞いた。こんなものがあったなんて。難病就労相談に同席してくれた障害福祉サービスの代表の人から、
「もしよければ、うちに来てみますか?」というお誘いをしてくれました。
就職に行き詰まってたし、これからも家に居続けるよりはずっといいか。
Yは就労移行の利用者として通所することになりました。
そこではYと同じで障害を持つ人たち。自分よりも重度の障害を抱えている人が懸命に暮らしている。
知らなかった。自分が一番重症だと思っていたから。彼ら・彼女らはYが今まで経験してきた苦痛よりもっと苦しい思いをしてきているのかもしれない。
そして通所していくうちにもう一つ気づいたことがありました。
もしかしたら自分は、がんばりすぎていたのかもしれない。
何かがほどけた。
いろんな逆境を無理して我慢し続けてきた人生。できないことはできませんと正直に言えばこんなにも気持ちが楽なのか。
あのときもこんな風に伝えればよかったのかな。今になって正解を見つけた気がする。事業所に通所するようになってからいろんな発見がありました。
そして就労移行に通い続けて約1年。大学時代と引きこもりの期間で培ったPCスキルのおかげ?で就職が決まりました。
これまでの「がんばりすぎていた人生」がやっと報われた気がしました
―――。
今まで経験してきた様々な過去は生涯忘れることはないと思います。
未だに夢に出てきたりフラッシュバックすることもたまにある。また”髫懷ョウ閠��驕句多”が来ることもあるだろう。死ぬまで向き合わないといけない。
けれど何かを掴んだ今なら…
今もこれからも、しっかり芯を持ちながらYは障害とともに生きています。
Yの記憶 -ある身体障害者の話-
~完~
過去は消えない。でもそれでいい。
♪ Evan Call「The Love That Binds Us」
ワイの雑談日記 No.90
Yの記憶 -ある身体障害者の話- その⑤
大学時代
大学生になっても“繧ゅ≧逍イ繧後◆”の発動要素は相変わらず多かった。
通学・教室の移動・公共交通機関の利用・ 就職活動・自動車免許取得・ゼミ活動 etc…
それでも何かのためにと毎日通いました。成人してもつきまとってくる”豁サ繧薙〒縺励∪縺翫≧縺�“。
外に出るのがもう嫌だった。もううんざりだ。
就職活動をほとんどせず就職先も決まっていない中、ハマってしまったのがオンラインゲーム。
ゲームが上手ければ評価される。“莉翫∪縺ァ縺ョ蜻ェ縺�”も来ない。
自分が障害者であることは知られることもないし、言わなくていい。見つけてしまった、まさに理想の世界。
働かないといけないことは百も承知でしたが、とりあえず大学は卒業した。 今まで自分なりにがんばってきた反動も相まって引きこもりに。
大学卒業と同時に、このとき初めて本当の意味での「社会的な死」を 、自分の意思で選択しました。
大学生なのに就職が決まっていないという「真面目のレール」から外れた背徳感はもちろんあった。でも毎日楽しすぎてやめられない。
用事がなければ1ヶ月は余裕で外出しなかったし、午後7時ごろに起床して午前7時ごろに寝る。完全に昼夜逆転の生活を送りながらゲームに没頭しました。
その⑥に続く
これでいい。もう疲れた。
♪ ウォルピスカーター「泥中に咲く」
ワイの雑談日記 No.89
Yの記憶 -ある身体障害者の話- その④
高校受験
先生「次の授業は”移動教室”です」
うわマジか。あそこの教室、あのルートのあの階段を通らないといけないじゃん。
Yは階段を登るとき手すりがないと登れない。
でも手には教科書が…”辟。讒倥↑蟋ソ”が頭によぎる。
階段を登る様子を人に見られるのが嫌すぎて
階段に人がいると忘れ物を取りにいくフリをして引き返したり、
通る必要のない道を探してわざわざ遠回りをする「徒労」。
でも毎回できるわけじゃない。授業の時間に間に合わないと…
仕方ない、人通りが少ないときに登るしか…
???「クスクス…」
あぁまただ。人とすれ違ってしまった。
不思議そうにこちらを見つめる知らない人たち。中学生になっても”髱樣屮縺ョ逶ョ”は変わらず続いた。
学校になんか”変な人”がいるという噂が広まったらどうしよう…本当に億劫だ
―――。
そして迎えた高校受験当日。人生の分岐点。
試験官「学校別に”列に並んで”受験会場まで来てください」
慣れない受験会場、たくさんの知らない人たち。
どんな階段?手すりはある?何階まで登る?
もし自分が登れないほどの高い段差があったら…
直感でわかる、このシチュエーション。オワッタ。詰んだ。
今日に限ってはあの”徒労”をする訳にもいかない。
どうあがいても誤魔化すことはできない。”豁サ莠。繝輔Λ繧ー”が確定する。
???
「一体何をされてる方なのw」
「おーい大丈夫ですかーww」
確実に煽られた。
たかが階段の移動で?Yのことを初めて見たときの”あの反応”。なんで言うかな?もう最悪。
高校受験という大事な日に、階段で遊んでいると思われたのかもしれない。
受験会場に先導してくれる試験官の人でさえもYのことを見て理解できていない様子だった。
もういっそのこと、見ず知らずの人に「自分は障害者なんです」とでも言ってしまおうか。
言ったところで理解が得られない。言い出す勇気もなければ、さらに”変なヤツ”に成り下がるだけ。意味がない。
いつも事情を知られないまま憶測で決めつけられる弱虫になるしかなかった
―――。
Yにとっての”羞恥心”は、
全校集会・文化祭・合唱コンクール・卒業式・受験・英語(漢字)検定の試験会場・塾・オープンキャンパス etc…
あらゆる学校イベントに組み込まれる。体育の授業や運動会だけではなかった。
クラスメイトだけじゃない。知らない人からの視線にも気を配る必要がある。
毎日のありふれた学校生活・日常動作すべてが対象で、毎日そこらかしこに潜んでいる。
普通に生きていれば一生頭によぎることのない「かもしれない運転」を張り巡らせながらビクビク怯える生きにくい毎日。
年に数回どころの話ではない。
幼いころから感じてた。考えたところで何一つ状況が良くなることはない無意味な思考回路。
いつも何か考え事をしていた。中学で通っていた塾も“雜ウ謇九∪縺ィ縺�”のせいで正直まったく身に入らなかった。
きっとこういう気持ちに余裕のある人たちが受験に受かっていくんだろうな。
受験の緊張と、受験に全く関係のない”遨「繧後※縺�¥蟆雁宍”のことで頭がいっぱいでまともに集中できず、高校受験は失敗しました。
その⑤に続く
縺ソ繧薙↑縺ォ隨代>閠�↓縺輔l繧九縺薙�諢滓ュ繧偵←縺薙↓縺カ縺、縺代l縺ー縺�>��
♪ Paledusk「HUGs」
ワイの雑談日記 No.88
Yの記憶 -ある身体障害者の話- その③
思春期
学校生活を送るうえで、年に一度必ずやってくるのが
運動会。
死ぬほど行きたくない。
何かの間違いで、雨が連続的に続くとかで中止になる奇跡が起きたりしないかな。仮病を使って休む?風邪をひいて熱でも出ないかな。刻一刻と迫る運命の日。そんなことが起こるはずもなく迎えた当日。
司会「6年生によるクラス対抗リレーです」
全校生徒1~6年生全体で1,000人とその保護者、約1,500人前後。大勢の人に囲まれる中でのリレー。
位置について、よーい、ドン!
???
「あれが6年生…?」
「マジかよ」
被害妄想で野次が聞こえる気がする。実際に言われたかもしれない。自分より年が下のコからも悪く見られていると思うと本当に辛かった。
順位は最下位。あぁ、これが”負け戦”っていうやつか。今日休めば何か違う景色が見れたのだろうか。きっといろんな人から蔑まれて失望されている。赤組優勝は無理かもな。
小学校・中学校・高校。毎年繰り広げられる公開処刑。
これ以上自分の無様な姿を見られたくない。ここから消えてしまいたい
―――。
検査の結果、Yは障害であることが判明した。(診断名:先天性ミオパチー)
医師からの治せないという宣告。治るかもしれないという希望は消滅。
どうやら生まれつき、最初からそうだったらしい。あぁ、自分はもうみんなと”同じ土俵”には立てないのか。
“他人からの評価”を気にする自分にとって、
“普通の人間”で在りたかった自分にとって、
もともと自分は”異常”だったことに絶望を感じました。
なんで自分が選ばれた?
何度も思いました。 自分は生きてていいのか、生きてる価値があるのかとさえ思いました。
明日また学校がある。マジで死ぬほど行きたくない。 楽しくない学校に何のために行く?行ってもいいことがない。
癇癪(かんしゃく)おこす?引きこもる? もういい?もういいかな?
―――。
クラスメイト「Y君なんで学校休んでるん?せこくね?」
脳裏によぎった。
学校に行くことを辞めたその瞬間、即コミュニティから外されるのが社会のルール。どんな非難や罵声を浴びるかわからない。間違いなくハブられる。
行かなければ。どんなに嫌でも。
どんな時でも“周りの目“を気にする理性は正常に働いていました。
学校に行きたくないという意思を、特に世間体にうるさい親には絶対に知られたくない。引きこもったらそれこそ本当の意味で社会的に死ぬ。同じ「死」を味わうなら学校に行く苦しみを選んだ。実質もう何回も死んでいる。Yの中で不登校の選択肢はありませんでした。
苛立ち・気合い・諦め・義務感。
いろんな感情・自分との葛藤を押し殺してこっそり泣きながら学校に通い続ける毎日でした。
その④に続く
どんなに過酷な絶望が立ちはだかっても逃げずに進み続けなければならない
♪ 澤野弘之「Vogel im Käfig」
ワイの雑談日記 No.87
Yの記憶 -ある身体障害者の話- その②
新学期
地元の小学校に通うことになったY。そして始まるのが新学期の恒例、
先生「最初の体育は"新体力テスト"をします。」
いやだ。明日学校に行きたくない。Yにはどうしても体育をやりたくない理由がありました。
やりたくないですと先生に伝える?やりたくない理由を先生に何て説明すればいい?ちゃんと意図をくみ取ってくれる?
このままだと悲惨な結果が待っている。今ならまだ間に合う。
でも体育を休んだら…
???「なんで?そんなんY君だけズルくね。」
クラスのみんなに知られたら何て言われるか…
当時のYからすると“周りの目”を気にすることは自分を捨ててでも守るべき最優先事項でした。仮にその場しのぎで難を逃れたとしてもYの秘密はいつかバレる。とても言える空気じゃない。結局どっちに転んでも、行き着く先は必ず不幸でした
―――。
位置について、よーい、ドン!
1クラス35人の前で50m走。Y君の記録、
15.00秒↑
ざわざわ…
必死に笑いをこらえるコ。引きつった顔でこっちを見るコ。開いた口が塞がらないコ。みんなが不思議そうにYのことを見ている。
パッと見は普通(健常者)に見えるからこその反応。
自分でも当然だと思った。男子のくせに、女の子はおろか全クラスで一番遅かった。
Yのことを最初に見たクラスメイトには、ふざけてる?本気で走ってないんじゃないかとよく言われました。
新体力テストは50m走をはじめ、
握力・上体起こし・シャトルラン・垂直とび・立ち幅とび etc...
それぞれの種目でその都度悪い意味で注目され続ける屈辱。
クラスメイト
「ッハハw マジかよw」
「先生ー、Y君なんか泣いてるー。」
新学期の体育はよく泣いていました。体育の授業が終わると先生は声をかけてくれた。
先生「大丈夫?”足”いけるか?」
でも気にかけてくれるのはいつも体の心配。先生ちがうんです。体が痛くて泣いているんじゃない。
運動ができないことを周りに知られることが、悔しくて恥ずかしいんです。
???
「痛いんじゃないんかい…」
「そんな理由で?」
周りから理解を得られない可能性を危惧して、死んでも言えませんでした。
体育の授業の”驢懈�”を見られて、みんなとは違う”変なヤツ”ということが知れ渡って、周りから何て思われてる?クラスでまぎれもなく浮いている。いじめられるかもな。
小学校・中学校・高校の12年間、新学期は毎年必ず
「社会的な死」
を遂げてからのスタートでした。
その③に続く
安寧が欲しかった
♪ 7!!「オレンジ」
ワイの雑談日記 No.86
Yの記憶 -ある身体障害者の話- その①
幼稚園
先生「今日は”かけっこ”しますよー」
えー…
体を動かすくらいなら家でゲームしてる方がずっと楽しいのに。
位置について、よーい、ドン!
おかしい。
Yは運動するときいつも疑問に思いました。みながみな、自分を易々と追い抜いていく。
どうしてみんなそんなに早く走れるんだ?自分が遅いのではなくみんなが速い。それに合わせろなんて無理すぎる。
できないし、何より楽しくない。どうして自分の不得意なことをしなければいけないのか。
自分は運動がきらいだ。
幼稚園児だったので多分それくらいにしか思ってなかったのですが、ただひたすら不愉快な気持ちになった記憶だけは鮮明に残ってます。
その②に続く
あのときはまだ〇〇だと
♪ Eve「廻廻奇譚」
ワイの雑談日記 No.85
ワイの雑談日記より
おしらせ
みなさんおつかれさまです!
突然ですがこのワイの雑談日記、来週より
Yの記憶 -ある身体障害者の話-
として、毎週金曜日に6回にかけてブログをアップしていく予定です!
身体障害者であるYのこれまでの過去や今までどうしてきたのかなどを見ていただき、特にYと同じく障害を抱えている方・悩みを抱えている方などに向けてなにかのメッセージになればと思います!
⚠️内容的に気分を害される方もいるかもしれないので、苦手だと感じた方から今後スルーしていってください。
6週間分、少し長いかもしれませんが、ぜひ最後までお付き合いください♪
遠い記憶の話
♪ 牛尾憲輔「tre」
ワイの雑談日記 No.84






